妄想シネマ

妄想都市計画

水溜りを避けるように

判断判断判断判断判断判断判断判断。

 

 

目をあけて、前に進もうとすると無限に広がる判断地獄。
私はいつでも間違わない様に、時に慎重に、時に己の勘を信じ、進んで来た。
結果振り返って見ると、私の足跡の下にはミス!ミス!ミス!と綺麗に並んでいる様にも見えたが、見ていてあまり気持ちのいいものでも無いので目をつむり、無いことにすることもしばしば。

 


音ゲーをしててミスが続くと中断するのと同じ感覚だ。
ただ一切の記憶を忘却し、また眼前の判断地獄を今から走り出そうものなら、なにも知らない地雷原を走り抜けるのと同じこと。
我々人類は他の動物よりも優れた学習能力を持ち、この地球上を支配して来た。
それが何から培われるか、そう、それが経験というものだ。

 


ただ振り返って見る自分の足跡の下に、やはり何度見てもそこにある大量のミスの二文字。
私がしっかり経験から学習し、優れた生物として判断をしてきたかと言えば甚だ疑問が残りすぎて、偉そうに講釈なんぞ垂れていれば、神様とかに怒られそうではある。だが、しかし、あえて、今回はそこらへんは棚の上に全て置いておこうと思う。棚の上に置いて置けるスペースが無いのなら棚の中にしまっておけば良い。

こういった話をする時に必要なのは事例である。


ありもしない架空の話を例に出し議論をするなど、居もしない怪獣を倒すための武器を作る様なものだ。
心苦しくはあるが、ここはあえて半生を振り返り、ミスという文字の上に痛々しく置いてある、良く言えば「思い出」悪く言えば「事故」である話を引っ張り出そうと思う。ただ今回はこの事を「事故」として処理する。お願いだからさせて欲しい。

 

あの事故が起きたのは2年程前、私がふわふわ空中を飛びながら体だけ大きくなった後「社会」という名の、マキビシが大量に散らばっている地面にようやく足を付け、血まみれになりながら1年が過ぎた時の話だ。


私はきっと寂しく思ったのだと思う。
一度しか会ったこと無い異性に対し、同居を申し込んだのである。


ふわふわ飛んでいた頃は俗世から一定距離があるものだから、それを眺めつつ「なんだか大変そうだなあ」なんて思いながら、1人思想を深めることに没頭できていたし、それを他人へ共有することで満足感を得ることもできていた。
しかし上記に述べた通り、いざ舞い降りた社会はマキビシだらけであった。
一見マキビシが無い安全地帯もある様に見え、そこに助けを求めて走れば、大量の落とし穴が掘ってあり「誰だ!こんな危険な道ばかりつくったのは!」と声を荒げても、一様に皆視線を逸らし「さあ」と口にするだけであった。
しかし一定期間その状況に身を投じれば、もうふわふわと飛ぶ方法を忘れてしまうのだ。それどころか、たまにふわふわ飛んでいる、かつての
同胞を目にしても「あいつはまだふわふわしてるのか」と地に足を付けた自分を誇りに思うかの様な錯覚に陥ってしまう。地についた足の裏を見れば、やはり大量のマキビシが刺さっていて血はとめどなく流れていた。
そんな私が立派なソルジャーとして、足の裏がカチカチになり、新しく舞い降りた新人達へ「洗礼だ!」とマキビシを投げつけていた時、ふと我に返ってしまった。
「私は誰だ」
記憶喪失になった人間が初めに発する、スタンダードな発言として知られるこの言葉を、深夜の誰もいないオフィスで私は呟いた。
恐ろしくなりトイレに駆け込み、鏡を見るとそこには完全武装した社会のソルジャーがいた。
ふわふわしようにも、全身に付けた武器と防具が重過ぎて、どうしようも無くなっていた。
その日私は、よーーーーく考えた。
考えに考えて、「これはまずい」と、そう思った。

このまま進んでも、何か問題があるかと聞かれれば、そうでもなかった。
ただ今の状況を誰が望んでいるのか、当事者である私が望んでいないし、お母さんは「生きてりゃいい」そう言っていた。

そして私は、助けを求めたんだと思う。これが「事故」の引き金である。

家に帰ってとりわけ早めに、私は奴に電話をした。
「なあ一緒に住まないか」
もちろん一秒もせずに悪態を隠せない返答が来た。
「はあ?」
である。文字に起こすと可愛い「はあ?」も、この世にはある。
ただあの日私が受けた「はあ?」は悪意の全てが込められた様な、全てに濁点がついた様な、そんな「はあ?」だった。
しかしそんな事は想定内である。
私は、即座にこの話の趣旨を説明することにした。


・この同居は恋心に付随したものでは無いこと
・きっとその生活が楽しいこと
・2年内に、私に好きな人ができたら費用は全て持つ代わりに同居解消、逆の立場なら好きに出て行ってくれて構わないこと。
・もし2年一緒に生活ができたら、恋心がなくても良いから、よかったら結婚して欲しいこと。
・そもそもこのイベントが必要不可欠なものじゃ無いことは分かってるけど、もしここでしなかったら一生後悔すること。


返答はもう覚えていない。ただ覚えているのは全てにおいて却下であり、2人でこれを実現する為、方法を模索することは一切なかった。

この話をする際、彼女の説明をする必要があると思うが、あえてしない。彼女への興味と、尊敬を言葉にするととても安っぽくなるからだ。
自分で有り続けたい自分を続けることが、もう一人じゃ限界だった様に思う。
私を取り巻く社会はあまりにも凶暴で、ふわふわしながら戦おうものなら瞬殺されてしまいそうだった。
だからといって、このままこれを続けてしまえば、きっと出来上がった私は、もう、私ではなくなってしまう。それが恐ろしく、また、寂しかったのだ。
だから彼女に助けて欲しかった。彼女が私を見ていてくれることが、当時の私を、戦いの中で保つ唯一の手段だったように思う。
私の自惚れだったのかも知れないが、彼女もまた、そうだろうと思ったのだ。

この話が終わり、現実には起こり得ないと決まってから少し経ち、私のせいなのか、彼女の意思だったのか、とにかく私の人生から、彼女は消えた。一番興味を持っていた人間を封印したのだ。

この後の数年を書く気は無い。
ただあの日あの時、私は私の判断で彼女を消してしまったようにも思う。
なぜなら彼女が消失した今の状況を、当時なんとなく予想していたからである。
「この話が、もし実現しないなら、後は普通に生きよう。そしてたまに後悔しよう。」
私は確かに当時、こう思ったのだ。Twitterに書いちゃう程だ。よっぽどだ。
そして私は、夏と冬、感性が極まる季節になると、やはり決まって彼女の事を思い出す。
ただ一つ言えるのは、彼女と住めなかった事を、実は後悔していないのだ。
正確に言うと、住まないという判断を下した後の道を進むにつれ、私は後悔ができなくなった。
もう、彼女に興味がなくなってしまったのだ。
私はいまでも足の裏を血まみれにしてるのだと思うが、もうそれすら分からないし、鎧を全て脱いで、武器を捨ててもふわふわする方法を忘れてしまった。
ふわふわしてる人間を見た時に、確実に自分を誇りに思うようになった。
私が後悔しているのは、自分がなりたくなかった人間になったことに対してだ。
なってしまったものは仕方ない。もう戻ることも多分許されない。
ただ私にできることは、もうこんな判断だけはするまいと、今は反省している
しかし水溜りを避けるように、避けたつもりで、また違う水溜りにはまってしまうのだろう。