ストーキングラヴァーズ
「ねえ、今度映画見に行こうよ、違う。別に劇場で大合唱するやつじゃなくて、いや、ホラーなんだけどね、多分最終的に恋愛ものになるやつ。約束ねちゃんと予定空けて・・・」
彼女が言葉を言い終える前に、僕はケータイ電話を放り投げた。
女なんてろくなもんじゃない。
自分の要望を伝えるだけでこっちの事情なんぞ知ったことでは無い。
本当に女なんてろくなもんじゃない。
彼女とは大学の同級で、入学時のオリエンテーションで知り合った。
上京したてで気持ちが浮ついていたのか、見知らぬ人間の多さで不安だったのか要因を他に託せばいくらでも出るだろうけど、一目惚れだった。彼女もまたそうだろう。
彼女は既に数人の同性の友達に囲まれ、連絡先を交換しているようだった、目が合った僕に微笑みかけ、恐らく連絡先を交換したそうであったが、そうやすやすと異性と連絡先を交換するほど僕は軟派な人間では無い。
その場はそれで終わったが、後日講義が始まった時に彼女はあろうことか「ここ空いてますか?」そう言いながら僕の隣に座ったのだ。
彼女の髪からシャンプーの匂いがした。不覚にも良い香りだと感じてしまい、余談ではあるが後日薬局で同じものを探したが、見つからなかった。
彼女はルーズリーフを1枚出し、真面目に前を向き講義を受けて居た。
彼女は板書を写す時ボールペンを使い、その誤字の無い正確な筆跡には感心したものだ。
いつもは開始そうそう集中力が切れ、ケータイを弄ぶだけの長い90分があれほど短く感じたことは無い。あっという間に昼を知らせるチャイムが鳴り、過去最短の講義は幕を閉じた。
朝食もとっていないのに、食欲が全くわかなかった僕は彼女が教室を出た後、そのまま喫煙所へ向かった。
3本目のタバコを燃やしている時、喫煙所の自販機に飲み物を買いに来る人間がいた。
彼女だ。
彼女はタバコを吸う僕に気が付くと、また微笑みかけミルクティーを買い名残惜しそうにその場を後にした。
彼女の気持ちに気が付いたのはこの頃だ。
恐らく彼女は恋心を抱いている。しかしちょっとした偶然が重なった程度で勘違いをするほど僕は阿呆では無い。
僕は真意を突き止めるべく統計的に判断することにした。
まず講義でまた僕の隣に座るかどうかだが、この大学の教室の多くはひな壇形式になっていて、前列よりAからE列まであり、左端から1から15までの数字が振ってある。
前回僕が座っていたのは最後列のEの11である。
僕は彼女と同じ教室になる語学の講義でまたEの11に座り彼女を待った。
教室に入ってきた彼女は一通り着席する学生を見渡し、僕と目が合うとまっすぐに僕の隣に来てまたこう言った「ここ空いてますか?」
これだけでもほぼ十分だが彼女の恋心を裏付けるのはもう一つ理由がある。講義終了後の喫煙所である。
彼女は毎回僕が3本目のタバコを燃やしている時に微笑みながら現れ、ミルクティーを買っては名残惜しそうにその場を去るのだ。
僕は彼女のシャンプーを特定できないまま毎回その香りの虜となり、彼女はボールペンでミスすること無く板書を写し、僕がもう要らないのに吸い続けるタバコの煙の中で彼女はミルクティーを飲みまくる。そんな日々が一ヶ月以上過ぎた。
彼女がミルクティーの飲み過ぎで糖尿にならないか心配する位の余裕が僕に生まれた頃だ。
いつも通り語学の講義に少し早く来て彼女を待った。
暫くするといつも通り彼女が現れ、僕の方にまっすぐ来て言うのだ。
「すみません。その席変わって貰えませんか?」
今までとは違う彼女の言葉に驚いた僕はあたふたしながら、2つ隣の席に付いた。
彼女は僕がもともといた席に座るとルーズリーフとボールペンを取り出し、いつも通りの準備をした。
しかし今日はいまいち落ち着きがない様子だ。
彼女の変わった挙動を観察しながら、変な気持ちで90分が過ぎた。
いつも通りのチャイムが鳴り、彼女は遂に口を開いた。
「すみません、連絡先教えてくれませんか!」
彼女は耳を真っ赤にしながら、下を向いていて、左手は前に座る男子学生の肩にあった。
振り向いた男子学生には見覚えがあった。
僕が喫煙所で2本目のタバコを吸っている時に現れるマルボロを吸う男だ。
よくよく考えるとこの後ろ姿も見慣れた物で、毎回この講義中、僕の斜め前。彼女の目の前にあった後頭部である。
その時僕は、自分の席番号をやっと確認した。そこにはEの10と書かれていて、その瞬間に全てを理解してしまった。
次の講義から図々しくEの11に座ることも出来ず、最後に出来たことはこの事件の一週間後、前まで僕が座っていた席にボイスメモを起動させたケータイを忍ばせる事位だった。
僕がどんな気持ちで毎回あの席に座っていたか、彼女は知る由もない。
彼女からの最初で最後の要望は「その席を変われ」だったのだから。
女なんてろくなもんじゃない。
自分の要望を伝えるだけでこっちの事情なんぞ知ったことでは無い。
本当に女なんてろくなもんじゃない。
そう思いながら、彼女の声が入ったボイスメモを何度も再生し、彼との恋が成就したことを、非難するわけでも無く、祝福するわけでも無く、僕は飲めないミルクティーを口にした。