妄想シネマ

妄想都市計画

セルフポートレートダンディ

 朝起きてスマートフォンをチェックする。
やはり反響が減っている。それは最早仕方がないことなのかもしれない。
彼も老けた。私はもっと老けた。
彼との出会いはもう10年前になる。正確にいうと出会ってはいない。
まだケータイ電話が折りたたみ式で、恋人の逆鱗に触れると逆方向に折られていたあの時代。
どこから発祥したのか、ネットの世界は己の顔を写真に収め、ネットの海に泳がす輩で溢れかえった。
私もその波に乗ろうとケータイを裏返しカメラを自分に向け、慣れない手つきで決定ボタンを押した。
どれどれと画面を自分の方に戻し、確認し、即座に閉じた。
「え?野生?」
もう何がなんだかわからなかった。
ネットで見た写真は、芸能人みたいな人達もいた。そこまで整った顔立ちじゃない人達もそれなりに写っていた。
ただ、今このケータイを開けば出てくるであろう画像はそんなものじゃ無かった。
できれば開けたくない。このままダサいTシャツによくある陰陽道的なマークを和紙に書いたやつで封印したい。
恐る恐る、薄眼を開けて、ゆっくりケータイを開いた。
ケータイの画面全体を10とするなら、私の顔は13程度の割合で入っていた。
13/10だ。溢れてる。
ドアップの間抜けなパースの写真の中には、目を細め、ほんの少しだけ顎を引いた私が写っていた。厚ぼったい唇。ヒゲのブツブツや、眉毛と眉毛の間のちょっとした眉毛も写っている。
なんてこったい。
私はもぞもぞと布団に戻り、正座のまま前屈をしたような状態で頭からすっぽり布団を被った。
これはとても悲しい事があった時にする、絶望要塞という儀式だ。
絶望要塞の中で私は考える。
カメラが悪いのか、撮り方が間違っていたのか、それとも私が31歳だからだろうか。ネットの皆の写真が少女漫画なのに比べ、何故私の写真だけ劇画タッチなのか。
こんなのおかしい。こんなの間違っている。
悶々とした布団の中で、熟熟した思考を煮えたぎらせていたら、私はスヤスヤと眠りについてしまった。
気がつくと絶望要塞は壊滅していて、腹を出したまま私はあと数分で日が落ちる夕暮れに起床した。
睡眠前の絶望感は消えていて、写真の事もすっかり忘れた私は今一度自分の顔を取ることにした。
蛍光灯の紐を2回引き、部屋には明かりが灯る。
眩しさで眉間にシワが寄った。
お、今いい感じかもしれない、私はケータイを開きシャッターを自分に向けて切った。
画面を確認し、急いで閉じて、シャワーを浴びた。
「寝起きはね。寝起きは無理にきまってるじゃんね」
呪文のように唱えながら、シャワーのお湯を口に入れ2分ほどアバババババババと吠えて自我を保った。
浴室から出た私は髪を拭きながら顔をあげ驚愕する。
やばいやばいやばい、今だ今!今かなりカッコいいじゃん!
体を拭くのも忘れ居間に走りケータイを手に取り、急いで自分に向けてシャッターを切った。
画面を確認し、即閉じた。
そうでも無かった。むしろ悪化してた。急ぎすぎて下から撮ったのが悪かったのか、ゆで卵にワカメを被せた妖怪がそこには写っていた。
ケータイを握りしめて、脱衣所まで戻る。
今では急いで居間に戻った時の濡れた足跡さえ痛々しかった。
鏡の前に立って凄いことに気が付く。
「鏡に写った自分を取ればいいんだ・・」
思わず口からでたその言葉の通りに、私は鏡に写った私を撮った。
おお、良いじゃない。
だけどよく見たら顔が斜めに歪んでいる。
しかし今までよりはだいぶ良い。
無我夢中で何度も取り直した。時間を忘れてベストショットを探した。たまに自分に声もかけた「いいよいいよー、その顔、あ~いいねー」
最後の一枚を撮り終えた時、私の髪はとうに乾いていた。
服を着て、居間に戻り缶ビールを開ける。
先ほど撮った写真を見るため、データフォルダの「フォト」と書かれた部分を押した。
微調整に微調整を加えたものだから、サムネイルで見ると全て同じ写真に見えるものが延々と並んでいた。
スクロールを何度繰り返しても同じ写真だ。
しかし私は知っている、最後に撮った写真が一番出来が良い。
意を決して、写真を開く。
良い。カッコよくは無いが普通だと思う。
今まで自分が自分として認識していた顔がそこにはあった。これは人間だ。獣では無い。
ただ、おちんぽは丸出しだ。
前の写真も、その前の写真も、計178枚写真を全て確認したけど、全て綺麗におちんぽは丸出しだった。
それからは生活にハリが出たように思う、仕事から帰ってきて、私は洗面台の前に立ちスーツのままケータイで写真を撮る。
休日にオシャレをして、外出はせず写真を撮る。寝起きに髪を下ろし、枕で半分顔を隠し写真を撮る。朝日が顔に当たると良い具合に取れるのだ。眠たそうな目もまたポイント。
そんな日々が半年ほど続き、ケータイのSDカードがパンパンになったため1GBのSDも買った。
撮り溜めに撮り溜めたフォルダの中に、私の最強の一枚なるものもある。
私は前々から登録していたSNSのサークルの中で禁断の扉「写メコンテスト」をゆっくりと開いた。
多くのスレッドが立ち並ぶ中、一つに目をつけ門をくぐった。
「テン子の採点!100点満点!池様来てね♪」
勢いのあるこのスレッドは皆仲が良さそうで、多くの若者で賑わっていた。
軽いノリで話しかけることも出来るだろう。
ただそこは初対面の礼儀というものがある。
私は紳士的に彼女に話しかけた。
「初めまして。気になったのでテン子さんのスレッドに来てみました。採点宜しくお願い致します。ちなみにですがスタイルは172/68です。」
この文言に、最強の一枚を添えて投稿した。
私は胸を高鳴らせながら、何度も何度も更新ボタンを押した。
1秒があんなにも長く感じたことはない。
今まで短文で会話をしていた他のユーザーも、皆水を打ったようにレスが止まった。
どれ程の時間が経ったろうか、投稿時に火をつけたタバコがまだ半分も残っているあたり、現実の時間はそう経ってはいない様に思う。
70回目程の更新の末、遂にテン子さんから返信があった。
下ボタンを鬼の様に連打し、確認する。
「んー、あんまり好みじゃないかも、ごめんなさい!2点です!なんでタンクトップなんですか?」
2点。
テストって大体100点満点だ。余程の試験じゃない限り、問題数が100問もある試験なんてないから、点数配分は一問3点とか、後半になると5点や7点だってある。
歴史の虫食い問題くらいだろうか(各2点)と書いてあるのは。
ああ、そういえば生類哀れみの令って凄い法律あったなあ。犬を敬い、蚊を殺さず。自撮りを載せても馬鹿にされない。そんな法律が出来ればいいのに。
「ありがとうございました。」私がそう返事を打つまでに、何人かの男がコメントを残していった、打ち間違えたのか「w」を大量に並べた奇妙なコメントもあった。
そんなことはどうでもよくて、私は頭から毛布を被り絶望要塞を建築した。
もう前の様な理屈はこねない。
ケータイのカメラの画質なんてみんな似たり寄ったりだ。特殊な撮り方なんて別にない。私がおじさんだからだ。よく見ろよ、皆10代そこらじゃないか。31歳のおじさんがいくら写真を練習したって無理なんだ。ピアスも開けた。髪も染めた、青いレンズのメガネも買った。タバコを吸いながら撮った最強の一枚は2点なのだ。98点はどこで落としたのか。そもそもその2点の基準はなんなのか。かろうじて人間だという証明か。
全てがバカバカしくなって、写メコンテストを退会しようとした時だった。
彼は居た。
「お願いします。」と一言だけ書いた投稿に彼の写真が添えられていた。
それはおそらく私が求めていた最強の一枚だった。その一枚には100点満点の点数が付き「友達希望おくっていいですか?」とテン子も丁寧になる程だった。
ただ、彼はそれに返事をすることなく消えた。
急いで彼のページに飛ぶと、プロフィールには初期設定の様な「よろしくおねがいします」の文字。日記の更新もない。
ただ彼のアルバムには大量の写真が貼り付けてあった。一枚一枚見ていく。
鏡に写った彼。寝起きの彼。学校の制服を着た彼。
私が撮りたかった写真だった。私の最強の一枚をこの中に紛れ込ませたら、ちょっとしたオーパーツだろう。
私は気がついたら彼の写真を全て保存していた。
絶望要塞の中、黒い感情が渦巻く。
試しに、試しに少しだけ。
私は登録していた別のSNSを開き、マイページのアルバムに彼の写真と、彼の様な言葉で「よろしく」とだけコメントを添えて投稿した。
しかし少し経つと怖くなり、罪悪感に悩まされ、ケータイの電源を切って逃げ出す様に睡眠薬を飲み、夢の中へ全速力で走った。
翌日起きると遅刻ギリギリの時間だった。慌ただしく準備を済ませ、最低限の身だしなみで玄関を開けた、どうにか地下鉄に乗り込み、一息つく。
ケータイで時間を確認しようとして、昨夜電源を切っていたことに気が付いた。
嫌な思い出が脳裏をよぎるが、仕方なく電源を入れた。
その瞬間だった、SNSのコメント通知を知らせるメールが、マナーモードにし忘れたケータイからけたたましく鳴った。
周りからの嫌な目線に頭を何度も軽く下げ謝罪する。
24件のメールは全てSNSからのものだった。
メール内のURLを押すと、やはり昨晩投稿した彼の写真へのコメントだった。
情愛、尊敬、好意。たくさんのプラスのコメントがそこには並んでいた。
一人一人のコメントを読み終わり顔をあげる。電車の窓に写った私の顔は恐らく泣いていたと思う。
私は昔から文章を書くのが好きだった。
私は彼の顔を借り、彼ではない彼を作り上げることにした。
彼の写真を何度も観察し、どんな人で何を考えているのか、どんな人物像を皆が期待するのか。
妄想に想像を繰り返し、彼の写真に合わせ私は文章を作っていった。
1年を過ぎた頃だろうか、私が作り上げた彼はたいそう熱心なファンが出来るほどに完成されていった。
それが彼の顔によるものなのか、私が書いた文章に対してのものなのか。
ドロドロに混ざって出来上がった、彼でも私でもないそのナニかは、もはや私も判別ができなかった。
私は彼のページに頻繁に通い、彼はいつも通り写真だけをアップロードし続けた。
その写真に合わせ、私は文章を書いていく。
彼は私が書いた文章の中で、時に喜び、時にドン底に落ちた。
時間が過ぎるにつれ、彼の長かった髪は少しずつ短くなり、3年目にはスーツの写真もあった。
ケータイがスマートフォンに変わり画質が良くなったこともあった。
5年を超える頃には彼も少しずつ精悍な顔つきになり最近になるとシワも増えてきた。
そんな彼の物語をもう10年間私は書き続けている。
私は41歳になっていた。彼は顔立ちからするにまだ30歳にはなっていないだろう。
彼は頻度は少なくなったが、アルバムを更新し続ける。
長い年月の中、私も当初の目的なんて忘れてしまった。人生を2つ送った様な変な気分に最近は取り憑かれている。
そんなある日、彼が載せた写真には、もう昔のような輝かしさは無かった。私も保存するのを躊躇し、何故か憤りを感じた。
そんなんじゃ無かったろう。肌も荒れている。アプリに頼ればいいじゃないか、光で飛ばすことも出来るだろう。何故正面から闘う必要がある。もうそんなのが通用する歳じゃないだろ。
久しぶりに作った絶望要塞の中で、私は初めて彼の写真にコメントを残した。
「そんなもんじゃないだろう」
41歳の私は、久しぶりに自分の顔にレンズを向けた。10年間で目だけは肥えた。光の調節も、アングルも距離も全て分かっている。
私は最強の一枚を撮って、彼のコメント欄に添付した。
彼が人と会話をしてるのをこの10年間一度も見たことはない。
しかし初めて彼が人の言葉に対して反応した。
「2点です。今まで本当にありがとう。」
彼はその後二度と写真を載せることは無かった。
私はというと、彼の写真を失ってなお、反響の薄くなった文章を書き続けている。
どこから発祥したのか、未だネットの世界は己の顔を写真に収め、ネットの海に泳がす輩で溢れかえっている。
私もふいに自分の顔を写真に収めて見ることがある。
そこに居るのは、いつもただの自撮りおじさんだった。
self  portrait Dandy